物理や数学の教育について~科学的な見地から
澤山 晋太郎
物理や数学の教育について分かったことがあったので、書きます。もともと、日本物理学会のそばには日本物理教育学会があってそこでは物理教育について研究がされていたり議論がされていたようです。ただ、自分はあまり関わってこなかったです。アメリカのほうにも同じように物理教育を論じている人たちがいたようです。それで、アメリカの研究を日本物理教育学会が日本語訳に直した本が
科学をどう教えるか: アメリカにおける新しい物理教育の実践
です。これは画期的な研究でした。
簡単にこれを説明するならば、物理や数学の教育者が、いくら丁寧にかみ砕いて生徒に教えても、生徒は理解できないってことです。生徒が自主的に理解しないと物理や数学は理解不可能であるということが、認知心理学の観点から科学的に解明されています。例えば、自分は基礎理論の研究者なので、物理学を世の中に還元するとしたらそれは主に教育になるわけです。もちろん、基礎理論の世の中への還元には教育以外もあるかもしれないですが、自分は教育だと思って学習塾を経営しています。その中で、やはり物理学をいくら丁寧にかみ砕いて教えても理解してくれないということは今までにも多くありましたが、どうやら上述の研究がそれを説明するようです。そして、自分と同じような経験をしている物理や数学の教育に携わっている人は大勢いるようです。ただ、自分はある程度はこのことについて経験則で知っていたところがあります。やはり、研究の世界では人に説明できるようになって初めて「ある程度理解した」レベルになるので、人から聞いただけとか教科書を読んだだけでは理解したことにはならないと前から知っていました。大学院などではこの「人に教えることが理解したことになる」というのが経験則で理解されていて、ゼミなどが行われていますが、今までは科学的な裏付けがなく、あくまでも経験則でしたが、ここにきて科学的な裏付けが与えられたと思っています。
では、物理や数学の教育に携わる人はどうすればいいのかというと、その本にもいろいろな教育方法が書いてありますが、基本的にはアクティブラーニングというものが有効であるということです。アクティブラーニングについては、
アクティブラーニング入門 (アクティブラーニングが授業と生徒を変える)
に書いてありますが、本にするような内容じゃないと思っています。
つまりは、教師や講師があくまでも補助的なものになって、生徒の自主的な学習の補助になればいいわけです。教壇から降りて生徒と一緒に理解を深めていくというのが先に言った「アクティブラーニング」です。ただ単に生徒の自主的な学習に重視を置くということです。確かに我々教育者の説明によって生徒は分かった気になるというのがあります。ただ、それで本当に分かったことになるのかというと怪しいです。やはり、我々学者たちの一般認識として他の人に教えられるようになって初めて分かったことになるというのがあり、それが科学的にも証明されているわけです。もちろん、ただ教えればいいというわけではないです。教えた時にありとあらゆる質問が来るかもしれないですが、それに答えられるようにならないとダメなわけです。自分たちがゼミをやるときや学会で発表するときも聞いている人のありとあらゆる質問を予想してそれにどのように答えるのかあらかじめ対策を取っているわけです。
そのアクティブラーニングにおいて重要なのは生徒に独学で予習させて来るってことです。その独学で予習してきたことを教育者の前で説明してくるってことです。「ニュートンの三つの法則を説明してください」とか「電場や磁場について説明してください」とか「波動関数について説明してください」とか「光が何なのか説明してください」とか「エネルギーがなんであるか説明してください」とかそういう質問をすることです。こういう質問に対して生徒の自主的な学習によってそれが説明できるようになれば我々教育者は「生徒はある程度分かった水準にある」と言えるわけです。ちなみに、完全なる理解ってのは不可能に近いと思われるので、「ある程度分かった水準」と言う言葉に置き換えています。ちなみに、分かった気になるというのはかなり危険で、我々学者たちはそれに対して色々な対策を取っています。まず、自問自答します。「本当に理解できているのかどうか」を自問自答します。それはソクラテスの無知の知に由来するものです。分かった気になっているのか本当に分かっているのかというのは非常に重要なことで、ソクラテスは分かった気になっている人をソフィストと呼んでバカにしていました。本当に分かっているかどうかを自問自答することによってソクラテスは学問の祖になったわけです。もっと簡単な方法としてやはり人に説明してみると分かっているかどうかわかります。人に説明した時にその人から質問が出てそれに答えられないと分かったことにはならないからです。そのような意味では質問者である教育者が全くの素人であるのがいいわけではなくて、アクティブラーニングといえども物理や数学の教育者は「ある程度分かっている人」が行わないとならないわけです。そのような人がする質問は本当に理解しているかどうかをチェックするような質問をします。
例えば、予備校や学習塾で物理や数学を聞いている人がいて、その一方で延々と一人で物理の本を読解している人がいるとすると、やはり後者の人のほうがよく理解できているということになります。ただ、全くの独学だと重要なことが抜ける可能性があるので、やはり補助となる人はある程度必要だと思っています。
以上、物理や数学の教育について科学的に解明されたことも踏まえて書きました。
2016年4月4日